THE HISTORIC PLACES名所・旧跡

島の醍醐味は、ひとところで山と海、そして里の自然が楽しめるところでしょう。
平郡島西地区も例外ではありません。厳しい環境の中、先人が工夫を重ねた独自の民俗、時代の変化の中で取捨選択した遺構が、美しい自然に溶け込み、他の地域では得難い、独特の景観となって島の魅力となっています。

旅する蝶の休息地

アサギマダラとフジバカマ

長距離を移動する「渡り蝶」アサギマダラがここ、平郡島に立ち寄るのは、初秋の約一週間ほどです。
島では数年前からアサギマダラが好むとされるフジバカマを増やす活動を行ってきました。畑の拡大とともに飛来する蝶の数も増え、現在2反ものフジバカマ畑に数百羽のアサギマダラが舞う姿を見られるほどになっています。
1,000km以上移動すると言われるアサギマダラの羽は、近くで観察するとボロボロです。次の旅に備えて、のんびり蜜を吸う姿はどこか儚げでもあります。

アクセス:平郡西港より徒歩約5分

南北朝時代の遺構

平見山城跡

ここから見える平見山の頂には、室町時代に山城が築かれていました。弘安3(1280)年に浅海通頼が蒙古の襲来に際して見張り台を設け、暦応3(1340)年に浅海政能が南北朝の戦乱に対応して本格的な城郭を築きました。浅海氏は、鎌倉幕府に瀬戸内海を支配していた河野氏の一族です。現松山市の北端に位置する浅海の地を本拠にしていたことから、浅海氏を苗字としたのです。
 浅海政能が伊予から平郡島に移住して平見山城を築いた暦応3(1340)年は、足利尊氏が征夷大将軍に就寝したものの政局は安定せず、南北朝の戦いが激しさを増す時期でした。政能の子・重道は北朝に組みして戦死をしています。南北朝の戦乱がここ平郡島にも多大な影響を及ぼして、平見山城が築かれたのです。
 江戸時代に記された「地下上申」の「平郡島由来書」には平見山城について「古城山壱ヶ所、西浦平見山二有之。但、往古城主浅海大炊之助と申仁居城被仕由。其城跡弐畝程、二ノ丸六畝程有之」とあります。つまり西浦の平見山城の城主は浅海大炊之助で、主郭は二畝(約200㎡)の広さがあり、副郭は六畝であったと述べられています。
(「平見山城址」案内板より引用)

アクセス:平郡西港より徒歩約40分

数メートル先に海が広がる淡水湖

赤石神社と蛇の池

蛇の池は、島の最西端にある、波打際より数十メートルの、面積約三丁歩(約2.9ha)位の淡水湖です。
海を間近に望む淡水湖は大変珍しく、この池にまつわる伝説が今も島民の間に語り継がれています。
小石の土堤に三方を覆われているためか、水色が季節によって変化、海上を行き交う船舶や漁船と共に、刻一刻と移ろう景観が楽しめます。

また、池の近くに建つ赤石神社のご神体は神社裏手の赤い岩です。この赤い岩をさすって患部に当てると病がよくなると言われています。

アクセス:平郡西港より徒歩約40分

重道八幡宮の文化財重道八幡宮の棟札 七枚

重道八幡宮の棟上・修理・屋根の葺替などに関係する棟札7枚で、それぞれ弘安3年(1280)・暦応3年(1340)・寛正5年(1464)・長享2年(1488)・慶安4年(1651)・宝永3年(1706)・享保6年(1721)の年号が記されています。
これらの棟札は、平郡島の開発に大きな役割を果たした浅海氏、鈴木氏、嗣官小林氏の存在を実証すると同時に、数少ない平郡島の中世資料として、また市の神社史資料として貴重です。
重道八幡宮は、「防長寺社由来」に「往古豊前の国宇佐より勧請仕之由二御座候、御鎮座時代年号相知不申」とあることから、弘安のころ平郡島に渡ってきた伊予国河野氏の家臣・丹治という者が宮司小林家のルーツと思われます。
弘安3年の棟札は、この記録が正しいことを伝える唯一の生の資料として重要です。
市指定有形文化財 昭和60年9月5日指定

平郡西の氏神

重道八幡宮

この八幡宮は、伊予国の浅海能信が鎌倉時代の中期に平郡島に渡って来て、宇佐八幡宮を歓請したことに始まります。浅海家は、瀬戸内海を統括していた公の水軍の一族で、現松山市の北端にある浅海の地に館を構えていました。やがて弘安3(1280)年には浅海通頼が蒙古の襲来にあたり、重道八幡宮の社殿を創建して武運を祈り、九州に向かいました。その時に、同じく河野水軍の一族であった小林丹治が来島して、宮司に就任しています。宮司小林家は現在に続いています。
 さらには暦応3(1340)年に、通頼の子である浅海政能が平郡島に移住して、平見山城を築き重道八幡宮の社殿を修築して大般若経600巻を奉納し、海蔵院を建立して十一面観音を安置しました。なお、重道八幡宮には、弘安3(1280)年の社殿創建や暦応3(1340)年の際の棟札を含めて7枚の棟札が遺存しており、貴重な資料であることから柳井市の有形文化財に指定されています。
 境内入口にある一対の狛犬は、平郡島から北海道へ移民した人々が奉献したものです。明治時代に北海道岩見沢の原野へ移民し、厳寒に耐えて筆舌に表しがたい苦難を乗り越えた人々が、開拓成就の証として故郷の神社に奉献しました。

(「重道八幡宮」案内板より引用)

柳井市平郡4324
クセス:平郡西港より徒歩約5分

円寿寺の文化財平郡の魚類供養塔 一基

魚類供養塔は、花崗岩の上・下二段の基礎の上に立つ砂岩の塔碑で、角に丸みのある高さ63cm、前幅22.5cm、奥行21cmの角柱上端四角形です。
正面に「江海魚鱗離苦得楽」、左側面に「明和九辰年二月立之」、背面に「施主 佐伯屋吉右衛門」とあることから、江戸時代、豊後水道に面した現在の大分県佐伯市方面に出漁して財をなした網元・佐伯屋吉右衛門が、明和9年(1772)に施主となって建立したものであることがわかります。
また、右側面の「法華経一部」「三部経一部」により、供養のために法華経一部と三部経一部が納経されていたと想像できます。

市指定有形文化財 昭和59年8月15日指定

平郡島漁民の良心、魚類供養塔がある寺

円寿寺

平郡西にある浄土宗の寺院。明治4年(1871)の寺院整理によって平郡東の円福寺と平郡西の寿現寺が合併し、寿円寺となりましたが、のちに円寿寺と改めました。
境内にある魚類供養塔は県下でも珍しく、当時の平郡島漁民の美しい心情のほどが、しのばれます。
供養の記録は残っていませんが、今日では平郡西の住民によって、毎年夏に手厚い供養が営まれてます。

柳井市平郡4326
アクセス:平郡西港より徒歩約5分

  • 疫神様
    6疫神様

    疫病が島に入り込まないよう、見守っている神様です。
    旧暦の6月1日に神主がお参りします。

    アクセス:平郡西港から徒歩約5分

  • 太師堂
    7太師堂

    裏山には八十八カ所巡りの小さなお地蔵様が並べられています。毎月21日に般若心経を読み、汁とご飯と漬物をお供えしています。

    アクセス:平郡西港から徒歩約2分

  • 石風呂と負上之石
    8石風呂と負上之石

    大師堂そばに残された石風呂は戦前まで使用されていました。中で薪を炊いて熱し、薪を取り出した後に海草や薬草を敷いてその成分が神経痛やケガなどに効くといわれています。
    石風呂のそばにある高さ80cmほどの石は力自慢たちが持ち上げた力石で、表面に「ツルホ 杉原繁三 負上之石」と刻まれています。

    アクセス:平郡西港から徒歩約2分

  • 東京巡査・長井熊道の墓
    9東京巡査・長井能道の墓

    1887(明治10)年の西南戦争の際、東京警視本署(現警視庁)は、士族(旧武士)を中心に警視隊という部隊を編成しました。平郡島の長井能道は三等巡査としてこれに所属。鹿児島県での戦闘にて負傷し、23才で殉死しました。

    アクセス:平郡西港から徒歩約10分

やないの名木、イブキビャクシンに守られる宿

10小林旅館

昭和9年(1934)創業の、平郡の民家の趣を残す平郡西唯一の旅館です。
玄関、大浴場は車いすに対応していますので、介助者同伴の宿泊も受け付けております。チェックイン・アウトは特に設けていませんので、船の時間までゆっくりお過ごしください。

柳井市平郡鶴甫4312 TEL : 0820-47-2811
アクセス : 平郡西港より徒歩約5分

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A LURID SUNSET島がオレンジ色に染まる時間

平郡西浦の太陽は、長崎鼻から昇り、楢崎へ沈んでいきます。
多島美で知られる瀬戸内海にあって、比較的見通しの良い西浦からは、条件が合えば、空と海がオレンジ色に染まる幻想的な景色を目にすることができます。平郡島が「夕日の島」と言われる所以です。
実は、日の出の際も、夕日に引けを取らない絶景チャンス。平郡島で一日過ごす人だけが出会える特権です。

HIKING IN HEIGUN ISLANDハイキング

島の端から端まで徒歩約3時間の平郡島は、ハイキングにはもってこいの場所です。
島南部を散策する「平郡往還コース」、段々畑の石垣やさざれ石のような凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)が目を引く「長深山登山コース」、気軽に山登りを楽しめる「平見山登山コース」と、初心者さんから中級者さんまで楽しめるラインナップです。

  • 平見山上空
    平見山登山コース

    かつて平見城があった山で、城址からは平郡西の集落を一望できます。平郡西港からも近く、片道約30分と、初心者さんも歩きやすいコースとなっています。

    所要時間:往復1時間

    平見山の紹介
  • 展望地からの景色
    長深山登山コース

    平郡島で2番目に高い長深山を登るコースです。中腹まで続く段々畑跡の石垣と、展望地から見る瀬戸内海がみどころの、健脚向けコースです。
    尾根伝いに島東部に抜けることも可能です。

    所要時間:往復5時間

    長深山登山の紹介
  • 石風呂と負上之石
    平郡往還コース

    『地下上申絵図』(山口県文書館蔵)にも紹介されている、島の南側を走る往還です。北側の県道155号線が整備されるまでは、このルートが西と東を結ぶメイン道路でした。
    瀬戸内海の多島美を望みながらのんびり歩ける比較的緩やかな道です。

    所要時間:平郡西港スタート東港ゴール3時間

    平郡往還の紹介