平郡島西地区

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島さんぽ2023/04/15

平見山に登ってみました

平見山は、戦乱の時代に島への侵入者を見張るための山城を置いた場所です。
平見山城跡は日本の歴史(元寇や戦乱の時代)とも関わってくる場所として、歴史好きの方にも興味を感じていただける場所かと思います。
踏み入る人がいなくなり、手入れが行き届いていないため、若干歩きにくいところもありますが、比較的なだらかな斜面で、ゆっくり登っていただいても平郡西港から20~30分ほどで頂上に着きますので、登山初心者の方でも挑戦しやすい山ではないかと思います。

連絡所前に設置された平見山城跡の看板から、平見山への登山をスタート。

川沿いの道を山の方へ進むと、山への入り口の最初の案内看板が目に入ります。「平見山城跡地」と書かれ、矢印で方向が示してあります。指示通りに道を進んでいくと、ほどなくして山道に入ります。(70~0メートルほどの山なので、山道から約20分ほどで山頂付近まで行けます。 )

少し山道を上がると、倉庫らしき小屋が見えて最初の分かれ道があります。随所に道案内の看板が設置してありますし、随所の木にピンクのリボンの目印も付けてあるので、道に迷うことはまずないと思います。

ほどなくして、水路と橋が架かっているのが見えてきます。矢印に従って水路の石畳の上を進んでいきます。普段はめったに水が流れていませんが、雨の日の後などは若干湿っていたり、少し水が流れて石が滑りやすくなっていることもありますので、注意して進んでください。

道中、いたるところに矢印、ピンクのリボンがあります。

二本のイブキビャクシンの木(写真左上、右側の2本の黒い幹)を目印に最後の上り坂を登ると、石垣に突き当たる分かれ道が見えてきます。
石垣の上に設置してある矢印看板に沿って道を進むと、かつて海蔵院と呼ばれるお寺(現在は平郡東地区に移築された曹洞宗のお寺)があった場所の塚が見えてきます。その場所には崩れかけた畑の小屋の跡(写真右上)と、お寺の塚があった名残の石塔の跡が見られ、周辺にはスイセンの群生が。

塚の脇道に再び、「平見山城跡地」と書かれた矢印の看板があるので、ひたすら看板通りの進んでいきます。
山頂の手前は少し勾配がきついです。

ついに山頂の平地に到着!
ここにはかつて、鎌倉時代、元寇に際して元軍の瀬戸内海への侵攻に備えて見張り台を設置し、その後の室町時代の頃には本格的な城郭も築かれたと言います。周囲を岩山に囲われた自然の要塞のような平郡西地区において、見張り場所としての役目を果たしました。

平見山城跡地の山頂であることを記す案内看板には、平見山城跡の解説ページ(連絡所の案内板と同じ内容です)にアクセスするQRコードがついています。是非読み取ってみてください。

さあ、いよいよ山頂からの眺め!
平郡西関係の有志の方たちによって切り開かれた場所から、平郡島西地区の集落を一望することができます。
この日は黄砂の影響で遠くまで見渡せませんでしたが、すぐ左に八島が見え、右側に見える櫛崎半島との間には、快晴時、遠く九州や大分県国東半島の山並みまで見渡すことができます。

下山まで気を許さずに、くれぐれも怪我のない様に注意しながら下山しましょう。

※ この山には棘のある木が多くあります。
概ねなだらかな道ですので、木に掴まらなければ登れない箇所はありませんが、足を取られたり、斜面を登る時などとっさに握ってしまうと、手にとげが刺さる恐れがありますので、くれぐれも注意してください!

※ 登山道は石ころが多くうっかりつまずいたり、石を下にけり落としたりすると、下を歩く人に危険が及ぶ恐れもありますので注意してください。
また、足もとにツタがはっている場所も多いので、引っかかってつまずかないように、ゆっくりと登ってみてください。
 

 
平郡島は最盛期、急峻な場所や標高の高い場所を除き、殆どの土地が農地として開拓されました。上の航空写真は1970年代後半に撮影されたものです。集落を中心に、広範囲にわたって農地になっていることがわかります。最新の航空写真と比べてみると、その大半が森林に戻ってしまっています。自然の復元力のすごさに、ジブリ作品の世界観を見ているような気分になります。
最新の航空写真をよく見てみると、森林に不自然なラインが入っていることに気がつくと思います。これはかつて段々畑だったところで、石垣の遺構がある場所でもあります。

重機などない時代、このひとつひとつを先人が掘り起こし、積み上げていったのだと思うと、とても感慨深いです。平郡島の山にはこのような石垣の遺構が沢山眠っています。
 

単に景色を楽しむもよし、歴史を感じるもよし、ジブリの世界感にひたるもよしの、平郡島の魅力を凝縮したような平見山。
今後、訪れた方たちに気持ちよく歩いていただけるような場所にしていきたいと思います。


島さんぽ2023/02/06

「平郡往還」を歩く

「平郡往還」とは、山口県文書館蔵に所蔵されている「地下上申絵図」に記録が残る、平郡西と平郡東を結ぶ往還です。現在、島の東西を結ぶ主要道路は島北部の県道155号線ですが、昭和中期までは島の南側に位置するこのルートが使用されていました。

本来の往還の出発地点は蛇の池ですが、今回は西地区集落からスタートします。
まずは集落東端の鶴甫南から阿高の棚田を目指します。阿高への路は畑へ行くために通る方もいるので、比較的きれいです。八島を望みながら船倉、そして阿高へ。

阿高を越えた市道はやや道幅が狭くなっている箇所があります。また、落石や土砂などが道を塞いでいる場所もありました。足を取られないよう、注意深く進みます。
人の往来が少ない道は少しジャングル化していますが、島名物石垣や集塊岩(凝灰角礫岩)など意外に変化に富んでおり単調さはありません。また、視界が開けた個所から時折覗く瀬戸内海と青空も気分転換に一役買ってくれますので、楽しく歩き進めることができました。
木の枝がアーチ状に折り重なり、妖精のトンネルのようになっている場所を発見。幻想的な雰囲気に思わずシャッターを押してしまいました。(写真最上部)


歩き始めて1時間20分ほどすると、遠くに東地区の畑らしきものが見えてきます。さらに遠くに目を移すと、平郡三景に数えられる五十谷三島が確認できました。五十谷三島は、その景観もさることながら、美しい白砂の海水浴場も備わっていますので、余力があるようでしたら、是非足を延ばしてみてください。

さらに10分ほど歩くと、東地区のミカン畑に到着しました。
ミカン畑で作業されている方に伺うと、東の港まで30分ほどとの事。あともう少しで東の集落です。
ミカン畑を進んでいくと、五十谷三島へ向かう分かれ道が現れました。

遂に眼下に東の港が見えました。
左側に大嶽を望みながら、東地区の集落を目指します。約2時間半かけて東地区の集落へ到着しました。

県道が主道となって、利用する人が少なくなった「平郡往還」ですが、県道が通行困難になった際、この道が西と東を結ぶライフラインになることは間違いありません。
島の南に位置するこの道を整備すれば、島一周という楽しみも広がります。


島さんぽ2023/02/06

長深山登山記録

長深山は、平郡島で2番目に高い山です。頂上に展望スポットはありませんが、中腹まで続く段々畑跡の石垣と、時々望める瀬戸内海の多島美がみどころです。要所要所に案内板が設置されていますので、初心者の方でも迷うことなく登っていただけると思います。
今回は去年春、有志のみなさんと登った様子をレポートしようと思います。

快晴の昼下がり、重道八幡宮の桜は丁度見ごろ。ひとときの花見を楽しみながら、神社を参拝し、登山道へと向かいます。
もみじの木や八島を眺めながら約8分程度で登山道入口に到着、ふきの畑の横を抜けて、山道へ。振り返ると木々の間から海が見えます。

「長深山登山道」の看板とピンクのリボンを目印に、 いざ、「天空のお城(石垣)へ…」 
ミカンの畑の横をしばらく進むと、石組みの段々畑跡が現れます。この段々畑はかつてのみかん畑で、最盛期には展望地付近まで延びていました。
この石垣が途切れると、いよいよ展望地に到着です。


天気が良く、眺めがよく、なんとも爽快。春の霞がかかり、天と海の境がないような光景です。
目の前にある八島や小島がまるで天空に浮かんでいるような感覚に陥ります。

神秘的な景色をしばし堪能し、展望地を出発。この辺りから天然林が広がります。
見上げると緑の絨毯のよう。途中、フユノハナワラビ生息地の案内板が立っています。
ピンクのリボンと看板を目印に、さらに歩き進めていくと、見事な広葉樹の木がありました!

休憩をはさみながらさらに進んでいくと、再び低い石垣が現れます。かつて山頂付近にあった牧場の遺構でしょうか。どうやら山頂まであとわずかのようです。

そして、遂に長深山の山頂に到着!
周囲は林に囲まれ、オーシャンビューとはいきません。山頂の木には、平郡の山を縦走するイベントを開催した際に取り付けたプレートが残されていました。
長深山は平郡島の中央に、背骨のように繋がる山々のひとつ。ここから深山、大滝山、大嶽へも向かえます。

上りとは異なるルートで下山開始。約20分ほどで、段々畑の展望地に戻ってきました。
この景色、やはり素晴らしいです。

休憩を取りながら片道2時間の登山道。頂上には眺望ポイントがなく、やや面白みに欠ける道ではありますが、前半の段々畑跡や後半の広葉樹の林はとても趣があり、天気の良い日には気持ちよく楽しめる要素のある山だと思います。
現在は登る人も少なく、倒木なども数か所あり、やや荒れている印象もあるので、もう少し手入れなどできれば、良い登山道になると感じました。



島の風景2023/02/04

石垣と白い木の謎

潮風が強い平郡島の海岸にそって、民家を守るための石垣が張り巡らされています。

一見全て同じに見える石垣ですが、年代によって構造が少し違います。
上の写真は最も古い石垣のひとつで、石のみで積み上げられています。そして右の写真は比較的年代の新しいもの。より強固にするため、つなぎにコンクリートが使用されています。
建物の被害を最小限にするため、島の建物は殆ど平屋造りです。屋根は高い石垣と、石垣に沿うように植えられた植栽に隠れ、港側からは殆ど見えません。まるで南の島と錯覚してしまうような景観は、強い風と波から家屋を守る、という共通点があるからでしょう。

海沿いを歩いているとよく目にするものに、地面に打ち込まれた白い木があります。
一見風化したようにも見えるこの木、実はビャクジ(イブキビャクシン)という非常に堅牢な木で、なんと古いものは、江戸時代から姿を変えることなく立っているのだそう。潮風にあたっても腐食しないビャクジは、昔から船をつなぐ杭などに重宝されました。
平郡の旧波止場にもこの杭がたくさん残っています。石垣を縫うように突き出た杭が、当時、平郡島に停泊する船が多かったことを物語っています。


島の風景2023/01/28

島の鍛冶屋跡

交通が未発達だった時代、島の人々はくらしの全てを島内で賄っていました。
農具や刃物を製造する鍛冶屋は、島民にとって欠かせない産業で、最盛期は10件ほどの鍛冶屋があったと言われています。
その中の一軒が、今回取り壊されるということで、ご厚意で解体現場にお邪魔することができました。
向かって右手にレンガ造りの炉、左手にたたき場があります。このお宅では主に鍬などの農具が造っていたそうです。

母屋の横には納屋があり、当時の農具がとてもきれいな状態で保存されていました。
左上の写真は背負子です。丸い背当てがキュートです。手提げ袋や箒など、工夫を凝らして手作りされていた様子がうかがえます。
当時の台所も残されていました。炉のレンガを転用したものでしょうか。カスタマイズされたマッチ置き場はオーダメイドならではですね。

干場の天井と滑車
葉たばこ干し塔

こちらのお宅は葉たばこも生産されていたらしく、鍛冶場の横には乾燥室が残されていました。梁の滑車は、葉たばこを上げ下げするのに使われていたものです。
潮風の強い平郡島は、風の影響を受けにくい、平屋づくりの住宅が多い集落です。
そのため、2階は遮るものが殆どなく、乾燥室として最適だったと思われます。平郡島の葉たばこは質の良さに定評があり、品評会で何度も表彰されたそうです。
葉たばこ栽培が盛んだったころは30塔を数えた乾燥塔も、今では数件が残るのみ、現在は葉たばこ農家は全て廃業し、稼働している乾燥塔はありません。下の写真は別のお宅の乾燥塔です。最後まで葉たばこ栽培を行っていた農家さんの一人で、そのため乾燥塔の状態も比較的良好ですが、使用目的を失った乾燥塔は急速に風化していきます。
島の風景から乾燥塔が消えるのは時間の問題かもしれません。



島の暮らしも近代的になり、昔ながらの設備を残す住宅は少なくなってきました。
貴重な資料を撮らせていただき、ありがとうございました。