※人口及び世帯数 令和4年12月末日
平郡島は、山口県南東部、柳井市柳井港の南方20kmの瀬戸内海上にある東西に細長い島です。
架橋されてない島としては山口県最大面積を誇る有人離島で、標高468mの深山を最高地点として、島の中央部を深い山が背骨のように走り、平坦地が少ない地形です。
平郡島を含む柳井市は、年間日照時間が全国でトップクラス、平均気温も15.6℃と、比較的穏やかな気候で、夏の猛暑日や熱帯夜は珍しく、冬の積雪もまれです。
長らく周防大島との関係を密にしてきましたが、昭和29年(1954)に90%の島民が柳井市への合併を希望したことから、柳井市への編入が実現します。海底ケーブルによる島への送電が開始されたり、連絡船が大型化するなど、諸施設の拡充が次々に実施されて、生活環境が改善されました。
昭和22年(1947)の平郡島には3,848人もの島民が居住し、大いに活気を呈していましたが、やがて若者たちが高学歴をめざし、都市部で就職する傾向が強まると、人口が漸減していき、現在では数百人になっています。
住民数は減ったけれども、過疎化を打破して活気ある平郡にしようと、様々な取り組みが企画され実施されつつあります。今まさに明るい展望を胸に、多大な努力がなされています。
資料提供・柳井市教育委員会
ヘイグン島は江戸時代までヘグリ島と呼ばれ、「平群」と「平郡」が混用されていました。
江戸時代より以前は倍具里と書かれ、和漢三才図会(正徳3~1713年)には遍ぐり嶋と書かれています。後にこの読みを嫌って現在の「へいぐん」に改めました。
島の東部では、平郡の地名の起こりは、宇治川の戦いに敗れた木曽義仲の子、平栗丸(へぐりまる)が家臣に守られて、奈良の吉野から宇和島を経て逃れて来たことによると伝わり、西部では、平繰中将友安が滞在したので名付けられたと伝わっています。
1日2往復のフェリーが柳井港と島を結んでいます。
※ 増便等により発着時間が変更になる場合があります。
詳細については平郡航路にお問い合わせください。
(TEL : 0820-22-7944)
島の生活に欠かせない公共施設の紹介です。
令和5年4月に再開校しました。
役所業務、「みしまだより」の発行の他、イベント開催や、平郡島観光案内情報を提供しています。
平郡唯一の介護施設。送迎は平郡全域で行っています。
毎週水曜日に開く、要予約の内科診療所です。
診察時間 10:30~13:30 / 14:30~16:45
TEL・FAX:0820-47-2032
(西診療所は毎週木曜日 9:30~12:30 / 13:00~14:00)
(平郡西は休業中)
平郡の海洋資源をコントロールしています。
隣の個人商店では、生鮮食品やお惣菜、日用雑貨を販売しています。
島と本土を結ぶ定期船です。一日2往復しています。