平郡島

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移住の先輩の暮らし2023/03/10 (2017/6/17初出)

松川さん一家

家族構成: 潤さん・三千恵さん・洵子(のぶこ)さん

※ この記事は2017年、アメーバブログ「物語が始まる島 平郡島」に投稿した記事を再編集したものです。

島生活の経緯

もともと田舎暮らしに強く憧れを持っていたのは潤さん。以前から定年前後に移住することを考え、情報を集めていました。
そのなかで、同僚に平郡西出身の方がいたことをきっかけに、平郡島のことを知り、調べてみると平郡から発信するホームページを発見。平郡島の若い漁師さんと連絡を取るようになりました。
三千恵さんは洵子ちゃんの出産後、育児休暇が明けてから仕事場に復帰していましたが、もっと子供と一緒に過ごせる時間が欲しいと思うようになっていました。
そういったなか、平郡島へ下見に何度も足を運んだ後、2007年から住み始めることになりました。
都会から離島へという生活の変化に不安はなかったのか聞いてみると「いろいろと田舎暮らしの情報を集めてみると、町に出るのに2時間掛かるのはよくある話。船を使うとはいえ、2時間掛からず柳井に出られることを考えると、そんなに遠いとは感じませんでした。家も古いものを想像していたけど、実際に見てみたら普通。
島に診療所があり、郵便局があり、多少の日用品はすぐに買える環境だったこと、特に診療所があるのは選ぶ理由でした。子供にも自分にも何かあればすぐに相談ができるし、状態が悪ければすぐに連絡をとってもらえます。
トイレは簡易洋式でお風呂も自分が子供の頃の昭和50年代の感じ。移住前に住んでいた家と比べると、5部屋もあって広さは3倍、家賃は5分の1の2万円でした。」と三千恵さん。
そんな中で一番期待したのは子育てについてだったそうです。
「この環境なら子育てにたくさん時間をとれる。前の職場だったら子供の寝顔しか見られないこともありました。子供にとって一番幸せな時間は赤ちゃんから小学生の間だと思っていて、その間にたくさん時間をとって接してあげたい。その時期を幸せに過ごしたら一生幸せに生きることができると思っていました。」と三千恵さん
島の時間は、やることはたくさんあったとしても、なぜかゆったりとしていますからね。

島の子育て

洵子ちゃんが平郡島に来たときはまだまだ目が離せない時期。デイサービスの仕事は移住してすぐに打診がありました。
一日の生活パターンは、午前中三千恵さんがデイサービスに働きに出ている間に潤さんが子守りをし、午後は潤さんが素潜り漁に出て、三千恵さんが子守りをしました。
そんな生活が小学校に入るまで続きました。
移住してきた当時は未就学の子供が4人ほどいました。
「この環境なら、自分のことも子供のことも他の人と比べてどうこうと思うことをしない、周りと比較しないで済むと思いました」と三千恵さん

洵子ちゃんが小学生に上がることをきっかけに休校になっていた小学校が9年ぶりに開校。
島で唯一の小学生となり、テレビで話題になったのが記憶に新しいですね。
現在、平郡東小学校では全校生徒6人の児童が通っています。
子育てをするうえで、平郡の環境ならではの良さを聞いてみると「子供と接している時間が長い分、たくさんの愛情を注ぐことができました。
できることが増えた瞬間など、日に日に成長していく姿を見ることができした。
棚の上に隠していたものに手が届くようになったり、言葉が話せるようになったり。
そんな変化をつぶさに見守れたのはうれしいです」 とのこと。また、子供の人数が少ない分、先生が一人ひとりに関われる時間も長く、 「分からないところは分かるまで教えてもらえるので、落ちこぼれは出ないし、いじめもない。今、日本中の学校で一番の問題となっていることがここでは起きない」
と潤さん
地域の見守りもあります。
島のみんなが顔見知り。
「洵子ちゃん、あっちにいったよ~」といった声を掛けてもらったりするので、子供がどこにいるのかすぐわかります。
また、平郡東小学校では、地域参観日といって、地域の人が子供たちの授業参加するイベントが定期的にあり、島のみんなも子供の教育を応援してくれています。
島のみんなからもたくさんの愛情を注がれた子供たちは、すくすくと素敵な子に育っています。


島の生活と魅力

平郡での生活費は田舎ならでは。
3人家族で食費と日用品を合わせて3万円。水道代と光熱費で2万円位。
家賃が2万円。その他いろいろの出費はありますが、15万円もあれば十分にやっていけます。
それに、採れたての野菜、釣りたての魚を食べられる。それが当たり前な生活。
家庭菜園で作った野菜や島の人が分けてくれる野菜は、買ってくる野菜と比べて甘みが違います。葉野菜は無農薬が普通だし、完熟トマトは味が濃い。
実家の神奈川に帰って街中で食事をすると、食材の味が違いすぎて食欲がなくなるそうです。
普段の楽しみは家庭菜園。野菜や果物が成長していく姿が子育てに似ているそうです。
自分で作って、自分で肥料を入れて、どんな土地で作っているのかわかっているものを収穫して食べるというのがすごい贅沢。
野菜作りを始めた当初は近所の方が鍬の持ち方から何までいろいろと教えてくれ、上手にほめてくれたりもしてとっても嬉しかったそうです。
今作っているものは、きゅうり、ナス、ピーマン、パプリカ、じゃがいも、スイカ、さつまいも、かぼちゃ、トマト、トウモロコシ。
「特に楽しみにしているのはサトウキビ、黒糖をつくります」とのこと。

島の生活を友人に勧めるとしたら?
「時間がたくさんあります。インドア派の人でも体を動かすのが好きな人でも、時間のゆとりがある分いくらでも楽しめると思います」
「街は変化に富んでいて、いろんな物があって、情報も溢れていて受け止めきれないほど。 島では逆に、こちらから求めないと物も情報も来ない。だからこそ、自分が本当に欲しいものが何かわかりますね。」と三千恵さん
「都会ではどうしても色んなことを人と比べてしまうけど、島では人と比べなくて済む。
本当の自分はどうしたいか?何が欲しいかということに気付きやすいと思います。」
「三年やってダメなら神奈川に戻ろうと話していました。どんなことでも、やめるという決断はいつでもできるはずなので、まずはやってみればよいと思います」と三千恵さん。
田舎暮らしに興味ある方、一度平郡島へ足を運んでみませんか?


移住の先輩の暮らし2023/03/10 (2017/05/22初出)

長谷川さん夫妻

家族構成: 大工:稔さん(平郡島出身)・真希さん(柳井市日積出身)

※ この記事は2017年、アメーバブログ「物語が始まる島 平郡島」に投稿した記事を再編集したものです。

島生活の始まり

高校まで柳井で暮らしていた真希さん。岡山の看護学校に進学。
そのまま岡山の病院で数年働いたのち、柳井に帰ってきました。
「柳井で生まれ育ちましたが、平郡島のことは知りませんでした」
と真希さん。
保健センターで一年間お世話になりながら、平郡島へ月に一回ほど、訪問看護に訪れるようになりました。
その後、平郡島へ住居を移し、デイサービス職員として働くようになり、現在は平郡診療所の看護師として働いています。
初めて離島生活をするにあたって不安なことはなかったのかを尋ねると、真希さんは「実家と比べると山か海かの違いというだけで、それほど違和感はありませんでした。平郡に来た当初から島に早くなじめるようにと、イベントやスポーツなど、皆さんにいろいろと声を掛けてもらえたのがとても助かりました」。
稔さんは平郡育ち。
広島で大工をしていましたが、高齢になった親と同居するために平郡島へ帰ってきていました。
稔さんが、島の若い人が集まる飲み会に真希さんを誘ったことをきっかけに、親しく話をするようになり、その中でも中学時代の恩師である美術の先生が稔さんの伯父であることを知り、縁を感じました。
その後、めでたく二人は結婚。
結婚当初は一緒にミカンや野菜をつくったり、稔さんの船で一緒に釣りなどをして楽しんでいたそうです。
アジ、スズキ、ヤズが捕れたとおっしゃっていました。
今でも冬にはイカ釣りに一緒に行くことがあります。
島ならではの遊び方ですね。 

島の食事と休日

結婚当初は稔さんのお母さんが調理をする機会が多かったようですが、キッチンをガスからIHに変えたことをきっかけに真希さんが料理を作るようになりました。
(平郡でもガスからIHに変える方が増えています)
離島生活というと、皆さんが心配されるのは食事面。
長谷川家はどうしているのか聞くと、食材は基本的に生協と農協で調達されており、おもには、冷凍食品や肉、牛乳やヨーグルトといった乳製品を購入しているそうです。
米は実家から、野菜は周りの方からいただいているそうです。
これは平郡では至るところで見かけるお裾分けの文化ですね。
食費は月に三万円ほど。
「本土と違って欲しいものがすぐに手に入るとは限らないのでそこは気を付けています」と真希さん。
疲れて何もしたくない時でも、島だと外食に頼ることができないので、そういったときには冷凍食品を重宝するそうです。

真希さんの休日の過ごし方を聞いてみると、結婚当初は釣りにも行っていたけれど、今はもっぱらインドア派。
以前は本土の柳井に出た時に本をまとめ買いしていたけど、専門書を取り寄せたことをきっかけにネット通販を使うようになり、小説を中心にネットで注文した本を年間で50冊以上も読んでいるそうです。最近は舞台のDVDも良く見ていて、今ハマっているのは 「劇団 新感線」。
たまに本土の友達と会って、食事や買い物に行ったり、実家に顔を出したりするのも気晴らしの一つだとか。
島生活の良いところを聞くと「時間感覚が普通の2倍の、ゆったりとした生活。時間に追われないので、時計をあまり見なくなりました。」とのこと。
これも平郡の魅力の一つ、スローライフですね!

島の医療

看護師として働く真希さんに、島の医療について聞いてみました。
「本土と全く同じものを求めるのは難しいですが、それでも高血圧、成人病、糖尿病といった慢性的なものや、ちょっとした怪我の縫合など、一通りのことは対応できます」とのこと。
より重症の患者さんや、専門性が必要な場合、本土の病院を紹介することもあります。
耳鼻科や眼科などは紹介を受けて、本土の病院に通っている方もいるそうです。
緊急時には、いざとなったら緊急船やドクターヘリも対応しています。
また、平郡には週2二回、整体師の方が来られ、マッサージ、お灸、針治療もしてくれます。
最後に、看護師として一番、思い出に残っていることを聞いてみると、100歳近いご高齢の方が、最後まで自宅で生活でき、それに自分がしっかり関われたこと。
本人も家族も自宅での生活をずっと希望していて、最後は奥さんと息子さんが見守る中で息を引き取られました。診療所の医師の理解と協力もあって、在宅での看取りが叶ったことがうれしかった。」
と答えていました。
「以前働いていた病院では、いろいろな患者さんがどんどん入れ替わり、日々の忙しい業務に追われる毎日で、患者さんが退院された後は、関わることはほとんどなかった。今の診療所での仕事は、大変なことも多いけれど、島で一緒に生活していく中で皆さんに必要と指定もらえることにやりがいを感じている。」
とのこと。ほとんどの人が顔見知りという、島ならではの実感ですね。


移住の先輩の暮らし2023/03/10 (2016/8/25初出)

岡田さん夫妻

家族構成: 武夫さん、ナミ子さん(共に平郡東出身)

※ この記事は2017年、アメーバブログ「物語が始まる島 平郡島」に投稿した記事を再編集したものです。

島の生活(山編)

「子どもの頃、親がみかんを作っていたんだよ。
でも当時、僕は畑が嫌いだったから、手伝いはあまりしてなかった。」
2009年、64歳で平郡東にUターンした岡田武夫さん。
山の中腹にあるみかん畑は、25年間放置されていたため雑草や木々が生え、木の上にはカズラが覆いかぶさっていました。
「畑というよりは、山になってしまっていたね。
親が植えたはっさくの木を見つけたから、周りの草を刈ってみたんだよ。
今度は竹が見えたから、スコップで掘り起こして。
木ものこぎりで切って、根元はバチグワで掘り起こしたよ。」
高さ約6m、直径約40㎝のむくの木も、なんと一人で取り除いたそう。
作業を始めて1年後には、かつての3段石積み畑(約15a)が再び姿を現しました。
だんだんと畑仕事に魅せられた武夫さん。
通年で野菜や果物が採れるように、畑にはいつも多くの野菜を植えています。
春は、キャベツ、春菊。
夏は、とうもろこし、さといも、スイカ、おくら、マクワウリ、ゴーヤ、ナス、きゅうり、かぼちゃ、さつまいも、さとうきび。
秋冬は、人参、白菜、キャベツ、じゃがいも、ブロッコリー、玉ねぎ、つくね芋、にんにく、枝豆。
果物は、親が植えたはっさくと、武夫さんがUターン後に植えたみかんがメイン。
ビワ、イチジク、甘柿渋柿も苗木から植え、今では実が成るそうです。

だんだんと畑仕事に魅せられた武夫さん。
通年で野菜や果物が採れるように、畑にはいつも多くの野菜を植えています。
春は、キャベツ、春菊。
夏は、とうもろこし、さといも、スイカ、おくら、マクワウリ、ゴーヤ、ナス、きゅうり、かぼちゃ、さつまいも、さとうきび。
秋冬は、人参、白菜、キャベツ、じゃがいも、ブロッコリー、玉ねぎ、つくね芋、にんにく、枝豆。
果物は、親が植えたはっさくと、武夫さんがUターン後に植えたみかんがメイン。
ビワ、イチジク、甘柿渋柿も苗木から植え、今では実が成るそうです。

また、イノシシや鳥対策として設置したネットには、今までに、こんこん(ヒキガエル)、ミドリバト、カラスバトがかかっていたとか。
「ミドリバトは全身緑色で、びっくりしたよ!」
畑仕事の合間には、農具を入れる小屋を建てたり、水を貯めるタンクを設置し、水位の高さを利用したスプリンクラーを作るなど、試行錯誤の日々です。

雨水をためるタンク
手作りスプリンクラー
毎日、水やりをかかしません
手作り小屋

妻ナミ子さんに「ナフコに行ったら、長いこと動かんのんよ!」と言われるも、「部品を見ては、これとこれを組み合わせて…って考えちゃうんだよ。
あと苗木を見てたら、欲しくなっちゃうね。」と楽しそうに語る武夫さんでした。
武夫さんよりも後にUターンした島民は、武夫さんが整備した畑を見て感動。
その後、自身の畑を整備して、畑を始められたそうです。
「僕は千葉にいたら、定年後はすることがなかったと思う。
都会で楽しむためには、お金もかかる。
島に戻ってもやることがないと言う人がいるけど、暇すぎると何かをしだすよ。
僕はそれが畑だった。本を読んで勉強したり、島の人に聞いたりしながら育てる。
野菜や果物は毎日変化があるから、成長を見るのが楽しいよ。」

島の生活(海編)

「母親の物忘れがひどくなってきて。
兄弟と話し合って、私たち夫婦が島に戻ることにしたの。」
岡田武夫さん、ナミ子さん夫妻は、共に平郡東出身。
ナミ子さんは島に帰ってきてから毎日、母親の食事や入浴のお世話をしています。
ある時、島の人に連れられて、ひじき狩りを体験したナミ子さん。
「ひじきをカマで切るんだけどね、ザクッザクッて!手ごたえが快感で、もうやみつきよー!
ひじきの時期(3月下旬~4月上旬、採取期間約15日)は、毎日海に行くのよ。
それと、海に行くとね、花粉症が治るのよ。くしゃみも出ないの。」
島では、ナミ子さんの他、多くの方がひじきを県漁協に出荷しています。
価格は約10,000円/袋(8.3㎏/袋)。
相場は年によりますが、今年は良い値だったそう。
大好きなひじき狩りをすることが、収入にもつながっています。

乾燥ひじきを手にするナミ子さん

「ひじきの他に、あおさ、わかめ、てんぐさ、岩牡蠣も採るのよ。」
牡蠣はポン酢をたっぷりかけて食べたり、牡蠣飯、フライ、バター炒め、味噌汁の具に。
てんぐさは、ところてんにしたり、コーヒーゼリーにしたり、アレンジは様々です。

ナミ子さんが取ってきたバフンウニの実を、夫の武夫さんと取り出します。
わかめやてんぐさなどを千葉に住む友人に送ると、喜ばれるそう!
「夏はこのところてんがないとね!」と、夫の武夫さん
家製コーヒーゼリー

「野菜は畑にあるし、海の幸は、目の前の海で取れるでしょう。
採れたての新鮮な魚や貝を味わえるなんて、都会では絶対できない贅沢な暮らしよ。
しかも、自分達で取るのも楽しいし、食べるのも美味しい。
生活と遊びが一緒になってるんだから。島暮らしは楽しいわよ。」
岡田家の食卓は、山の幸、海の幸にあふれていますが、Uターンして最初に困ったのは、買い物でした。
「Uターンする前は、食材調達のことを考えてなかったの。
だから、島に帰った時は大変だったのよ。
外食はできないし、買い物する場所や品揃えには限りがあるでしょう。
最初は、どう3食作ろうか悩んだの。
その時、周りの方から野菜をいただいたり、生協を使うと便利だと教えてもらったり。
今では生協を利用するのと、月1回は柳井に出て、お酒、肉、ガソリン、肥料とか、トラックを使って一気に買い出しをしてるのよ。」
今までは、安い商品があればつい買ってしまっていたそうですが、島では余分な買い物や、衝動買いをすることもないため、支出がとても減ったそうです。
千葉県ではパート勤めをしていたナミ子さん。
Uターンを機に仕事を辞めたことで収入は減りましたが、それ以上に支出も減ったため、年金生活でも貯金ができています。

島で暮らすわけ

2016年10月で、Uターン7年目になる岡田夫妻。
島に帰ってきた当時、家は住める状態になく、ツタが室内にも伸びているほどでした。
壊すのにかかる費用は300万、綺麗にするのも300万。
悩んだ末、岡田夫妻は自分たちでリフォームすることにしました。
「家が大きすぎたから、必要な部屋だけ残して、あとは解体したよ。
全くの未経験でも、できるもんだね。
難しいところは、島の大工さんに教えてもらって。
壁や床張りは、なるべく自分でやったよ。」と武夫さん。
Uターンして、半年後。
岡田夫妻が快適に暮らせる家が、完成しました。

家の中には、イラストレーターの娘さんからのポストカードがたくさん!

「島に帰りたいけど、家が住める状態にないから躊躇している人は多いね。
トイレを綺麗にするのに、約20万。
最低限ここだけを直せば、住める家は結構あるよ。」と武夫さん。
生まれ変わった岡田夫妻の家には、子どもや孫の他、以前住んでいた千葉県の友人達も、毎年遊びに来るそうです。
「いつも2~3泊していくのよ。みんなが喜ぶのは、やっぱり食事。
タコ飯、刺身、つわ煮とか、島の食材がすごく美味しいって好評なの。
畑の野菜も、丸かじりしてもらうのよ。」とナミ子さん。
家の近所には、ナミ子さんが「シルバー憩い」と呼ぶ集会が開かれています。
周辺に住む87~96歳までの方々が、ほとんど毎日、井戸端会議をしているそうです。
「暇な時は集まって、みんなで昔話をしてるのよ。
この開放的な時間の使い方がすごく好き。心にゆとりが生まれるの。
都会だと義理の付き合いもあるけど、島では、心からの付き合いができるのよ。」

岡田夫妻は、知り合いに「定年後はUターンしたら?」と呼びかけています。
「千葉にいる孫とは頻繁に会えなくなったけど、生活は以前よりも充実してるの。
独時の島時間は、最初は慣れるまで大変かもしれないけど、とても居心地がいいわよ。」

(インタビュー:井上、香川、吉本)


移住の先輩の暮らし2023/03/10 (2016/6/16初出)

大野さん夫妻

家族構成: 谷行さん(平郡東出身)・ふみ子さん

※ この記事は2017年、アメーバブログ「物語が始まる島 平郡島」に投稿した記事を再編集したものです。

島の趣味娯楽

「広島におるときも、週1回は柳井港から平郡島の海に行って夜釣りをしよった。」
というほど、釣りが大好きな大野さん。
Uターンした今、毎日釣り三昧…と思いきや「荒れとる畑を使ってくれという声が多くてのぅ。ほとんど1日中畑におって、釣りする間がない。」
幼い頃から母親と畑作業をしていた大野さんにとって、畑も趣味のひとつ。
現在9か所の畑で、たまねぎ(3,000本)、じゃがいも(種いも15㎏分)、さつまいも(2,000本)、にんにく(70本)、つくね芋(100本)、みかん約40本などを育てています。

畑の合間には、夜釣りや磯遊び(わかめ、あおさ、ひじきなど採取)も。
「平郡ではもずくも採れる。もずくそうめんが美味いんよ。」
月何回かは、シシ鍋会や飲み会をするなどみんなでわいわい楽しむ時間も大切にしています。
「忙しいんじゃけど、のんびりしとる。なんというか、島時間は独特なんよ。」
つい先日、念願の船を購入した大野さん。
これからは釣りを楽しむ時間が増え、さらに「忙しいけどのんびり」な日々になりそうです。

島で暮らすわけ

「定年したら、島に帰る。」
妻ふみ子さんには、結婚前からそう伝えていたそうです。
生まれ育った島で、のんびり釣りを楽しみたいと考えていた大野さん。
いつか帰るなら、親が元気なうちにと、定年後すぐに移住準備を始めました。
広島在住時も、みかん畑の世話をするため、月1回は島に来ていた大野夫妻。
島外出身のふみ子さんは、「度々島に来よったけぇ、移住はしやすかったよ。昔馴染みの風景が心地いい。」とのこと。
趣味のソフトバレーは、島に移住してからも続けています。
「外に遊びに行きたいときは、定期船に乗ればいいだけよ。」
と、島民編成チームで、島外の試合に出ることも。

「忙しいけど、のんびりなんよのぅ」と独特の島時間を感じている大野さん。
地域活動、畑、釣りなど…毎日が予定いっぱいですが、その日のスケジュールは、その時々に自分で決められる晴耕雨読の日々が、心にゆとりをもたらしているようです。
自分の時間を大切にできる。
そんな忙しくも、のんびり充実した島暮らしを送っています。

島の生活(年金)

「元気は食事から」と、食を大切にしている妻ふみ子さん。
野菜は、畑で育てたものや、いただきものがほとんど。
お肉やきのこ類、釣りで獲れない魚(サバ、サンマ)は、生協などを活用して購入しています。
「ここ1~2か月、島でヤズがよく獲れるんよ。10匹くらい家で食べて、あと15匹は食事会とかで出したかね。魚があると冷蔵庫の食材が減らんけぇ、生協を注文せん時もあるよ。」
畑が趣味の大野さんは、採れた野菜やみかんを島外の親戚や友人知人に送るそうです。
「野菜とかぶち送るんじゃけぇ、送料もばかにならんよ!でもこの人は、送るのが好きなんじゃけぇ」とふみ子さん。
年金生活の大野家。
新築で建てた家の固定資産税や、野菜などの送料(年間約10万)など想定外の支出もあり、予定より少し持ち出しがあるそうですが、生活スタイルは、広島にいた頃とあまり変わらないようです。

わいわい楽しいことをするのが好きな大野さんは友人知人が島に来た時、イノシシが獲れた時などのタイミングで、食事会をしています。
「野菜を送った人たちが、お礼を兼ねて島に遊びに来てくれるんよ。それぞれが知り合いを連れてくるけぇ、人の輪が広がった。」
島の新鮮な食と豊かな環境が毎日の元気や、人とのつながりを生み出しています。

(インタビュー:井上、香川、吉本)


移住の先輩の暮らし 2022/02/28 (2017/03/14初出)

漁師卜部さん

家族構成: 隆元さん(平郡島出身)・悠子さん(岩国出身)・海那人(みなと)くん

※ この記事は2017年、アメーバブログ「物語が始まる島 平郡島」に投稿した記事を再編集したものです。

島生活の始まり

平郡出身の隆元さんと出逢い、初めて島での生活をすることになった悠子さん。
来島する前はどのような心境だったのか聞いてみたところ、「実をいうと、特にこれといった不安はありませんでした。住めば都といいますし、どうにかなると考えていました」とのこと。
島生活を始めた卜部夫婦。
6LDKで庭付きの住宅を本土の物件と比べると格安で購入し、トイレを水洗化し、風呂・台所をオール電化にして生活の基盤を整えました。島民の方も皆暖かく迎えてくださったそうです。
外を出歩いた際には、見かけた方々が「みかん食べていかない?」とか、色々声を掛けてくれ、悠子さん自身も、手作りパンやケーキを持っていって遊んだりしているうちに仲良しが増えていきました。「披露宴を島で行ったのも大きかった。一軒一軒招待状を配って回ったおかげで、どの家にどのような人がいるのかわかったし、自分自身を知ってもらうこともできた」と悠子さん。

島の食事編

島の生活で慣れないと大変なのが食材調達。日々の食事作りはどうなのか聞いてみたところ、
「これが作りたいからこの食材を買う、ではなく、今ある食材を使って何を作ろうか?と考えるようになった。不便に思えるかもしれませんが、今はもうすっかり慣れました。」と悠子さん 。
隆元さんは「本土と違って、ほしいものがすぐに手に入るとは限らないから、本当にほしいものは前もって手に入れておいたほうがいいよ。」とアドバイスをしていたそうです。
実際に生活が始まってみると、ホームベーカリーを使ってパンを焼き、近所から頂く季節毎の沢山の野菜をうまく使い切ったりと、やりくり上手の悠子さんに隆元さんは「非常に助かっている!」と感謝しきりでした。

 食材としては、隆元さんが漁師なので新鮮な海産物は当然のこと、他にも自宅の庭を使って野菜作りにも挑戦(オクラ、ピーマン、トマト等々)。また、近所の方々から野菜をいただいたり(きゅうり、大根、白菜など)、採れたタコを送ってあげたお返しに大量のお米を頂くこともあるそうです。
肉や調味料、日用品などの島で買えない食材は、生協の宅配サービスを週1回程度利用して購入。
「やはり、本土と違ってコンビニやレストランといった外食をする場所がないから、食費は安く抑えられます。四人で月に2~3万ぐらい」とのこと。
朝、昼、夜と、三食とも家族そろって食べているそうです。

 ある1日の食事例
朝:パンケーキ、ソーセージ、豆乳スープ
昼:ご近所さんからもらったネギを使ってネギ焼ラーメン
夜:別のご近所さんからもらった白菜とひき肉のあんかけ 
※取材中「漁協の人にもらった」という小豆を使った、手作りの美味しいおしるこをご馳走になりました!

島のすごし方

 結婚するときに隆元さんからは「島の生活は暇だから趣味がないと時間を持て余すよ」と心配されていた悠子さん。実際、結婚前までの趣味だったカラオケ、ショッピング、カフェでお茶、ドライブはなかなか島で楽しむことはできません。 
その代わりになったのが、 農協で声かけてもらって始めた運動クラブや婦人会の活動、 趣味になったパン作りやお菓子作り、 卓球、バレー、バトミントンを毎週1、2回。 
体育館に「島の若手(20代~60代)」が集まって汗を流します。 

 仲良くなったおばさまに連れって行ってもらい、「うに」採り。
 丁度島に遊びに来てくれていた両親に採りたての新鮮なうにを食べてもらったこともあるそうです。 

 海那人くんが生まれてからは育児に追われ、 運動クラブはまだ再開できていません。
本土の友達からは、「ママ友いないし、児童館もないから時間を持て余さない?」と心配され、確かに、雨の日は外に出かけることができないのでしんどい、とのこと。
でも晴れた日の海那人くんとの散歩はとても贅沢だと感じているそうです。
ゴミゴミしていなくて、四季折々に自然が豊かで人との距離も近い。
きれいな海を見ながらゆったり過ごす時間は、「バカンスを楽しみたい人にもオススメ」とのことです。 

卜部さん、インタビューに応じていただきありがとうございました。